◆東京裁判史観の見直しを迫る「新たな情報」

 東京裁判についての話をせよということであるが、東京裁判が明らかな間違いであるということはすでに合意のことだと思う。しかし、実はこの何年間かで非常に多くの新しい資料が出てきており、歴史自体が根本的に書き改められなければならなくなっている。つまり民主主義を基調とする社会では、情報公開がどの国でも非常に大きな柱となっており、戦後六十年が過ぎた今、およそいかなる国家機密も全て出てくることになったからである。
 例えばアメリカでは一九九五年、戦後五十年目に、ヴェノナ文書というのが出た。これはアメリカ国内で、ソ連共産党がアメリカ共産党員にどのような指令を出していたか、アメリカ共産党のメンバーたちがどういう活動をしていたか、何を目的として企みをしていたかということを示した通信文である。それによると、ソビエト共産党やコミンテルンの影響がいかに凄まじいものだったかが分かる。例えば有名なマッカーシーの「赤狩り」について、ジャーナリズムの世界はずっと、「赤狩り」と果敢に戦ったエド・マローという人物をヒーローのニュースキャスターだと思ってきた。というのも、マッカーシーは国務省に二百五人の共産党のスパイがいると言ったが、その根拠をマスコミに聞かれても、言えなかったからである。当時はヴェノナ文書のことや、それを解読しているということは、敵に手の内を知られるから言えなかったのだが、それでマッカーシーは追い詰められ、失脚した。しかしヴェノナ文書を読むと、むしろマッカーシーが正しかったことが分かる。
 もう一つ面白いのが、ソビエト崩壊後に出てきた秘密文書である。GRUというソビエト軍の情報機関の秘密文書の一端が、今ベストセラーになっている『マオ』という本に出てくる。『マオ』を書いたのはユン・チアンという中国人女性と、彼女の夫のジョン・ハリディというイギリス人であるが、この本を読むと、中国共産党に対するソビエト共産党の影響力がいかに強かったかが分かる。中国共産党は事実上ソビエト共産党の掌の上に乗っていた。毛沢東もソビエト共産党の使いっ走りみたいな感じだ。
 その中に、日本にとっても大事なことが二つ書かれている。一つは、一九二八年に起きた張作霖の爆殺は、日本軍ではなく、ソビエトがやったということ。日本軍がやったように見せかけるのに苦労した、ということが書かれているが、これが事実とすれば、日本にとってはまさに驚天動地のことである。
 もう一つは、一九三七年七月七日の蘆溝橋事件後の動きである。蘆溝橋と上海との間は何百キロも離れているが、事件後、あっという間に戦火が上海にまで飛び火し、中国全土に広がった。こんなに中国全土に戦争が広がっていったのは関東軍が悪いからだ、とずっと私などは教えられてきた。関東軍は近衛内閣の不拡大方針にも従わず、要するに暴走してしまったというのが日本では定説になっている。
 もちろん当時、蒋介石は日本軍と戦って国民党が勝てるとは思っていなかった。彼が日本との戦争に非常に慎重だったということは、常識として定着している。しかし、そこに驚くべきことが潜んでいた。蒋介石の右腕で、南京上海総司令部の司令官だった張治中という人間が、実は周恩来に送り込まれたスパイだったのである。『マオ』の第十九章には、何月何日という具体的な日付毎に、張治中がいかに蒋介石を騙し、日本軍に戦いを仕掛けてきたか、騒動を起こしてきたかということが、時系列で書かれている。
 蘆溝橋事件は中国人が起こしたことが常識になっているが、そこから戦火を広げていったのも中国共産党の手先となった国民党軍の司令官だった。しかも中国共産党はソビエトの指令を受けていた。つまり、ソビエトは中国共産党に国家を作らせようとしていたから、中国共産党軍が消耗してしまうのは好まなかった。また毛沢東も自分たちの軍隊が戦って損傷を受けるのを好まなかった。そこで結局、彼らは国民党と日本軍を戦わせ、両軍ともへたへたにしてしまい、自分たちの政府を樹立しようという戦略をとったのである。
 張治中は蒋介石が負けて台湾に逃れた時、中国に残るが、そこで出世して、平和に死んでいる。彼は回顧録の中にはっきりと書いている。私は国民党軍に入っていたけれども、中国共産党と接触するようになって共産主義に憧れるようになった。ある時そっと周恩来にコンタクトをとって、中国共産党に入りたいと言った。すると周恩来から、「待て。お前は共産党に入って表立ってカミングアウトするよりは、何食わぬ顔をして蒋介石の右腕となったままでいて、中国共産党のために働け」という指令を得た、と。こういう史料を読むと、歴史というのは五十年、六十年経たないとわからないということが理解できるのではないか。
 そもそも東京裁判は日本が負けたがゆえに、日本を悪者として裁いたが、それ以前には敗戦国を敗戦したがゆえに、犯罪国家であると決めつけて裁くような事例はなかったし、そのような法的根拠もなかったから、これは明かな国際法違反である。それに加えて、戦後六十年を経て、今述べてきたような驚天動地の事実が明らかになった以上、わが国を悪者と決めつけた東京裁判、そこから生まれた東京裁判史観は、根本から一回消し去って、新しい歴史観をもう一回作り直さなければならない。
 それは、何も日本の立場を擁護するためではない。きちんとした事実を見つめて、その事実に基づき、公平な歴史を考えようという態度をとれば、日本も愚かだったかも知れないが、中国共産党はもっと悪かった、ソビエト共産党はもっと悪かった、ということに自ずとなるのである。

◆忘れてならない対ロシア外交の大前提

 ところで、私はついこの間、ロシアを訪れたが、日本のロシア外交も、やはり対中国外交と全く同じパターンである。つまり戦後六十年間、日本は言うべきことを言ってこなかった。
 日本はポツダム宣言を昭和二十年八月十四日に受諾したが、それをアメリカなどの連合軍は日本の降伏と受け止め、そこで戦いをやめた。ところが、日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦したソビエトだけは、取り分を多くしようと思って、戦いをやめずに満洲国境から北朝鮮、そして樺太へと百七十万の軍隊を南進させた。彼らが北方四島の歯舞群島を取り終えたのは九月四日から五日にかけてである。しかし日本は九月二日には正式に降伏文書に署名している。こんなことをしておいて、ロシアは今日、北方四島は国際法に基づいてロシアのものと確定しているなどと言う。これは許してはならない。
 もう一つ、日本が取り組まなければならないのは抑留の問題である。一九四五年八月、スターリンは「9898号指令」という命令書を出しているが、これは五十万人の労働に耐えうる頑強な日本兵を連れてこいという命令である。それで、ソビエト軍は出来るだけ多くの日本人を抑留した。私は六十万人と教わった。
 田久保忠衛先生たちが八年かけて行った平和記念事業の調査が『戦後強制抑留史』という一冊にまとめられているが、それを見ると、ソビエトは鉄道を建設したかったことが分かる。その沿線沿いに二千ヶ所以上も収容所がある。だいたい六キロおきに作られ、一個所に何百人もの日本人が張り付けられた。抑留帰国者の聞き取り調査を読むと、少なくとも十万人は死んでおり、また六十万ではなく、七十万から八十万人が連行されていっただろうと考えられる。
 いずれにせよ、この七十万人から八十万人の人達が体験してきた国際法に違反した過酷な重労働について、ロシアには、きちんと日本国民が納得するような形で謝ってもらわなければならない。
 こうしたことをきちんと検証して、対ロシア外交の基本に据えるべきである。しかし日本には変な人たちがいて、「二島返還論」とか「政経不可分で政治問題としての領土を解決するには、経済問題を先にやらなきゃいけない」みたいな「政経不可分」を逆手にとった意見などが出始めており、こうした動きを大変心配している。

◆トータルな歴史観をもつべき

 こうした誤った歴史観というのは結局、全部日本が悪いというところから出てくるわけであるが、先に述べたような新たに情報開示された事実を見ると、決して日本が一方的に悪かったわけではないことが分かる。多少愚かではあったが、しかしどの国もそういった愚かさはあるもので、日本だけが責められるべきものではない。だから、こうした新しい情報を時系列に編集して、議員の間で共有するところから出発してほしい。
 また、日露戦争の頃からの歴史を見直すことによっても、随分日本の立場は違ってくる。アメリカの日本に対する脅威論というのは、実は日露戦争の時から起きてきた。その頃から、アメリカは日本を非常に警戒し始め、その結果、日本は第二次世界大戦に走り込んで行くことを避けられなくなったも言える。
 日露戦争当時、小国日本が大国ロシアに勝ったことに、セオドア・ルーズベルト大統領は非常に驚いた。日本では、ルーズベルトは講和の仲介をしてくれたから親日的だった、という見方があるが、そうではない。彼はアメリカ海軍大学の学長であったアルフレッド・マハンという海上戦略の専門家に、なにゆえ日本がロシアのバルチック艦隊に勝ったのかを分析させている。
 マハンはこんな分析をした。バルチック艦隊は太平洋艦隊とバルト艦隊の二つに割れていたが、この二つが合流して日本の連合艦隊に対処しなければならない時に、バルト艦隊は南アフリカの方から廻って、途中で石炭や水や食糧を補給しながら日本海にたどり着いた。が、その時はもうへとへとだった。それに対して日本はきちっと準備が出来ていたし、地の利もわかっていたから勝ったのだと。
 これを聞いたルーズベルトは、いつか必ず日本と相見える時が来ると予測した。その時に備えて、アメリカの太平洋艦隊と大西洋艦隊が瞬時に一緒になれる道を考え、パナマ運河の建設に手をつけた。パナマ運河の建設は当時すでに始まっていたが、色々な問題があって大変遅れていた。そこでルーズベルトは莫大な予算をつぎ込み、優秀な指導官を入れて、それから十年後、第一次世界大戦に間に合うタイミングで作り上げている。
 第一次世界大戦に日本は参戦するが、アメリカは日本を参戦させないように画策した。日本は日英同盟をテコに強引に参戦し、戦勝国になるが、ルーズベルトは、いつの日か日本はアメリカと対立する時がくると考えるようになった。
 そもそもアメリカは一八九八年に米西戦争を行うが、実はその頃から中国とかアジアの権益をとても意識し始めていた。その上、日露戦争で小国日本が勝った。アメリカとしては、自分たちはアジアに行って、中国の権益を取りたいが、その時にぶつかるのは日本だ、というメンタリティーが出来てきた。日本に対して敵対的な意識を持つということがあったはずである。
 その際、日本にとって不幸だったのは、広報がものすごく下手だったことである。中国は宋家の三姉妹といった人々がアメリカでヒロインになるというふうに、宣伝が非常に上手だった。また彼らはものすごく多角的な外交も展開するし、さらに彼らは誰も信じない。もちろんアメリカをも信じない。
 一方、日本は思い込んだら一本調子で、例えば金子堅太郎がルーズベルトとハーバードの同窓だと言えば、ルーズベルトは親日的だと思い込む。また小村寿太郎は日露戦争の講和でポーツマスに行った時、ロシア側と会談の中身はオフレコにしてマスコミには出さないと決めて、それを金科玉条の如く守って、全然アメリカの記者たちに情報を渡さなかった。ところがロシアのウィッテは、裏でアメリカの記者たちを船に呼び、シャンパンをご馳走しながら、どんどん都合のいい情報を出した。それでアメリカの世論は親日から、日本の方がおかしいという風に変わっていった。日本は情報戦にきわめて弱い。

◆「情報省」を作って、情報発信能力を高めよ

 日本の保守の政治家に是非考えてほしいのは、こうしたトータルな歴史観を持つということと同時に、これからの課題として、日本の情報発信能力をどうやって高めていくのかという課題である。
 例えば中国は、東シナ海の天然ガス田の所に船舶が入ってきてはいけないという禁止海域を三月一日に設けたが、わが国の海上保安庁がそのことを知ったのは三月末で、官邸にその情報が上がったのが四月十四日。安倍官房長官が「けしからん」と述べたのが十七日だった。ところが、その日の深夜に中国は、「あれは修正しました」と言ってきた。多くの日本人は、日本が強く出たから中国はこんなにあっさり修正したんだろうと言っていたが、「ご冗談でしょう」と言うしかない。
 なぜかと言うと、この直後の十八日、胡錦濤はアメリカに行って二十日にブッシュ大統領と首脳会談をやることになっていた。今回の胡錦濤の訪米の目的は、アジアで中国の覇権を確立するために、アメリカに介入させないことにあった。だから彼は、中国はすごく立派な国で、民主主義もちゃんと尊重する信頼に足る国ですということをアピールして、台湾問題でもアメリカに介入の余地を絶対に与えないような、いわゆる米中関係の緊密さというものを紡ぎだしたかったのである。だから、日本の海域に禁止区域を作るような国であると言われたり、日本から抗議を受けるような事態は絶対に避けねばななかった。つまり中国の柔軟な対応は日本に向けられたものではなく、アメリカの大統領とメディアに向けられた、中国のイメージを良くするためのものだったのである。
 にもかかわらず、二階俊博経産相などは、あれは単なる間違いだった、というような趣旨のことを発言した。二階さんにはいつの日か、きっちり責任をとってもらう日が多分来るだろう。二階さんほどではなくても、日本人の見方はものすごく甘い。
 歴史認識を変えることは、過去の歴史を学ぶことによって出来ると思う。その意味で、新しく出てきた情報を丹念に学ぶことにより、東京裁判史観を変えることができると思う。しかし、変えただけでは駄目である。世の中は今も、この瞬間もどんどん動いているわけだから、この動いていく新しい状況に、わが国の立場をきちんと反映させて行くことが必要である。そのためには情報省というか、様々な情報をきちんと分析するだけの組織と人を作ることが必要であり、それは保守の政治家の重大な役割だと私は思う。

《質疑応答》

●質問 東京裁判史観を修正していく取り組みは重要であるが、その一方で、出口が見えてこない方向に一体どのくらい力を注ぐべきかという迷いもある。中国との関係でも「A級戦犯」の問題だけで片が付くのであれば、(中国の要求を受け入れてもよいのではないか)との思いにも時々駆られる。

櫻井 この問題については、まず事実関係をつかむことが必要である。例えば「A級戦犯」の問題が片づけば、日中間に靖国問題は起きないかというと、決してそうではない。それは、靖国問題が表面化するに至った一連の事情を時系列で見ればわかる。
 昭和五十三年の秋に「A級戦犯」が合祀され、翌五十四年(一九七九年)春に新聞に発表されたが、当時の大平総理大臣は予定通り靖国神社に参拝し、マスコミに囲まれ、国会でも質問された。その時、中国はどう反応したかというと、同年十月に?小平が日本を訪れたが、靖国の「や」の字も言っていない。代わりに?小平は日本に「もっと軍事大国になれ」と言った。ところが、それから六年経った昭和六十年(一九八五年)の九月になって中国は初めて「A級戦犯はけしからん」と言い出した。
 このナゾ解きは、国際社会の状況を見れば非常によくわかる。七〇年代後半のアメリカの大統領はカーターであるが、彼はソビエトを訪れて軍縮を提案した。カーターの四年間で、それまでアメリカの方が一段上だった軍事力がソ連とだいたい並ぶ。しかしその頃、中国とソビエトは離反していて、中国の戦略は日米中の連合体制で自国をソビエトの脅威から守ることにあった。毛沢東は真剣に、ソビエトは中国を核攻撃すると信じていた節がある。だからこそ?小平は日本に対して、軍事大国になれ、ソビエトは脅威だと言い続けたわけである。
 では、なぜ八五年になって中国の態度は一八〇度変わったのか。それは、アメリカとソビエトで大きな変化が起きたからである。まず八〇年代初め、レーガンが大統領になり、就任式でソビエトを「悪の帝国」だと言い、軍拡を始めた。アメリカは自由経済で景気がいいから、軍事費の支出に耐えうるが、ソビエトは耐えられないから、アメリカは戦わずしてソビエトを滅ぼすことが出来る――。そんなシナリオを国防総省が書いていた。
 一方、ソビエトでは八一年から八五年の間に指導者が三人も次々に亡くなった。おまけに経済は疲弊して、八五年三月にゴルバチョフが若き共産党書記長として世界にデビューした。彼はグラスノスチ(情報公開)、ペレストロイカ(民主化)とともに、新思考外交を打ち出した。新思考外交とは、一言でいえば軍縮のことである。
 この一連の変化を中国人になったつもりで見てみると、まず七六年から八〇年までは、ソビエトの力がものすごく強く、恐ろしい。だから「ソビエトの脅威」を唱え、日本にも「軍事大国になれ」と言い、靖国神社も「どうぞどうぞ」ということになった。ところが八〇年代に入ると、もうソビエトの脅威は遠のいたと思うはずである。その時、軍事大国になって覇権を確立するという毛沢東の打ち立てた建国時からの国家目標に立ち戻った中国は、隣に一人、生意気な国があることに気が付いた。日本である。日本と中国は並び立つことが出来ないから、日本は叩かなければいけない。叩くためには歴史認識がいいということで、靖国問題で叩き出したということである。
 九八年八月、江沢民が訪日する直前、「二十一世紀の中日関係の展望」という分析を中国共産党が行った。これについて、ある日本の専門家が詳しい論文を書いているが、その分析の中で中国は、日本を中国のために活用しなければならないが、日本をコントロールする道は二つある。一つはアメリカを介して日本に影響を与えること。もう一つは、日本の国柄を利用することだと書いている。「国柄」というのは、日本は押せば引き、叩けばうずくまる国であるということ。けれども押したり叩いたりでは、上手く利用出来ないから、その時には歴史認識が最善のカードであるとも書いてある。そして実際、その直後に訪日した江沢民は、ものすごい反日の発言を繰り返したのは周知の通りである。
 こうした事実をしっかり認識すれば、「A級戦犯で譲れば片が付く」などという考え方は吹っ飛んでしまうだろう。仮に「A級戦犯」で譲れば、何ヶ月かは上手く行くかもしれないが、必ず同じ問題が起きてくる。今度は「B級戦犯」と言うかも知れないし、いくらでも材料はある。日本はむしろ、今まで述べてきたようなことを日本国民の共有の情報としていかに広げていくか、そのための国民教育に力を入れるべきである。

●質問 覚悟は一緒だが、政治は結果責任でもある。そうやってわれわれが頑張り続けることが本当に日本の国益につながるのか、まだ確信が持てない。

櫻井 中国の国内状況を見ると、新しい動きも出てきている。例えば三年程前に馬立誠という人が「対日関係の新思考」という論文の中で、歴史認識を問題にするのは馬鹿馬鹿しい、日本に学べみたいなことを書いた。また何方さんという人が今年二月頃、中国が日本の歴史認識で外交的譲歩を迫るのは間違いだということを書いた。中国の中にも、中国共産党の政治がいいと思っていない人はものすごく増えている。
 今、中国共産党は自からの権威を保つために、メディアに対しても何に対しても必死に締め付けをやっている。しかし十三億とも十四億とも言われる国民を抱え、五十二の「少数民族」を抱え、あれ程の国内格差を抱えている中国共産党の支配は、もう長くは続かないだろう。いずれ多党支配に移って行くのではないか。そうした中で、中国共産党のやり方がいつまでも容認されるはずはない。だから、日本は今ある意味ではやせ我慢の時期に入っているのかも知れない。きついけれども我慢しなければいけない。
 日本がやせ我慢をすべきであると考えるもう一つの理由は、最大の同盟国であるアメリカの意志もそこにあるからである。QDRという四年毎の国防見直しの報告を読むと、アメリカは明確に中国を脅威として認識している。また日本のメディアは、アメリカのゼーリックなどが言う「エンゲージメント」は、日本の頭越しに中国と仲良くしようというのが狙いではないかと言うが、しかし『フォーリン・アフェアーズ』二〇〇一年一月―二月号を読むと、全く違ことがわかる。アジアにおけるアメリカの戦略的パートナーは日本であることは彼も認めている。さらに米軍の再編問題などもトータルして考えれば、今のアメリカは日本の後押しをものすごくしているといえる。後押しをしながら「日本はもう少し自立せよ。もっと自分のこと主張せよ」と、勇気づけている。
 だから、中国が靖国のことを言ってきたら、「あなた方は昭和六十年に靖国問題を言い始める六年も前に、日本に軍事大国になれと言っていた。なぜ中国人の心はその頃は痛まなかったのか」と、日本は彼らにきちんと聞くべきである。
 そもそも戦後六十年、わが国は一回も軍事力で他国を攻めたことない。内外で武力や権力を使って人々を酷い目に遭わせてきたのは中国である。中国は一九五〇年にはチベットに侵攻し、五〇年から五三年の朝鮮戦争では北朝鮮に加勢し、五四年から五五年は国民党軍と国共内戦を戦い、五九年にはもう一回チベット動乱を起こし、五九年から六一年には大躍進政策で中国の農民二千万人を殺した。さらに七四年にはベトナムと戦って南シナ海の西沙諸島を取り、七九年にはベトナムを懲罰すると言って攻め込み、八〇年代にはまたベトナムと戦って今度は南沙諸島を取り、六六年から七六年には十年間かけて文化大革命をやって、一千万人か二千万人殺している。この六十年間の歴史の中で、日本と中国とどちらが公正な国なのか、どちらが人権を守る国なのか、どちらが法治国家なのか、どちらが好ましい国なのかを聞いてみれば、アジアの全ての国がそれは日本だと言うだろう。
 日本に対するアジア諸国の支持は中国と比べれば圧倒的に強い。ただ中国を恐ろしいと思っているから、表だっては言わない。しかし日本がきちんと自分の足で立ち、自らの意志をはっきりさせるようになれば、アジアもきちんと日本に付いてくる。

●質問 今この瞬間にも中国では法輪功の関係者が拘束されたり虐待されている。こうした人権侵害が中国では日常的に行われており、人権問題は中国の最大の弱点である。こうした問題について、日本は徹底的に追及すべきではないか。

櫻井 先ほど戦後六十年の日中間の比較をざっと述べたが、まさにその通りだと思う。中国が日本に対して高飛車なことを言ってきたら、「でも、あなたの国ではどうなのか」と日本は問うべきである。中国は、チベットやその他の内蒙古の問題など、一番話題にして欲しくないことでは嘘八百を言っている。それを中国に言わせて、その一つ一つをきちんと検証していけばいい。
 だから人権問題に対する研究会みたいなものを、常に看板として派手に掲げておく必要がある。日本に下手なことをすれば、人権問題でやられるということを彼らに感じさせるということも、一つの有効な対抗手段となるだろう。
 中国は日本にとって一番嫌なことを言おうとする。つまり日本人が戦後の歴史教育で「私達は悪い戦争をした」と思い込まされているから、そこをどんどん突いてくる。これは、日本の中で良心的と言われる人であればあるほど、「ああ私達が悪かった」と思っているから、ものすごく効果的である。だから私達も同じ手法で行けばいい。中国の人達はみんな人権問題まずいと思っており、言われないようにしているわけだから、日本は人権を常に掲げるべきである。
 日本は「アジア人権賞」みたいなものを作ることも考えるべきである。人権を守るような報道をした人や組織に対して、一千万円とか一億円といった援助資金を与えて、どんどんその活動を続けてもらう。これは、中国の虐げられている国民の味方に立つことになる。中国で虐げられている人は何億といるが、そうした人々の味方に日本は公に立つべきだ。
 さらにアジア各国でこうしたセミナーを開き、その年の「人権賞」を決めて、それに日本国がドーンと支援をする。これは必ず喜ばれるだろう。日本のステイタスも上がる。こうしたことを形に現すことにより、日本はアジアの精神的なリーダーになれるだろう。それを一番嫌がるのは中国だが、彼らが一番嫌がることをやればいい。
(文責・正しい日本を創る会事務局)